留守番メッセージ


 受話器を取ってボタンをプッシュする。
 ピ、ポ、パ、ポ―――プルルルル、ピッ。

『もしもし木崎要です。現在留守にしております。御用の方はピーという発信音の後にメッセージを……ああ、そうそう、そんなことより最近キャベツの千切りが上手くなったんです。僕は昔から手先が不器用だと言われていたのでこれはとても嬉しい。あなたはどうです? 千切り上手にできます? 最近はなんとかというとても便利な機械があってそれ一つで千切りもみじん切りも短冊切りも桂剥きも思いのままなんだとか。あ、ひょっとしてそういうのに頼っちゃってますか? 別にそれが悪いとは言いませんよ、便利なのはとてもいいことです。というか正直言って僕もそれ欲しいし。でもまぁやっぱり手作りは手作りで味があるんだと信じたい。そうでなきゃ女の子の手料理にあこがれなんてしないですからね。今度は短冊切りに挑戦してみようかとおも―――ピーッ』

 ブツッ。
 電話が切れた。


 /


 翌日私は大学の食堂で要に会った。

「要」
「なに、しーちゃん?」
「短冊切り、上手になった?」
「は? ううん、全然だけど。ていうかなんでしーちゃん僕が短冊の練習してるの知ってるわけ?」
「いや、別にいいよ」

 不思議顔の要の正面の席に腰を下ろす。
 私の持ってきたトレイの上にはざるそば。もうすっかり暑いし、こういうものでもないと食べる気が起こらない。
 ふと目の前に視線をやって要の食べているものを見た。タッパーに山と詰まったキャベツの千切りに学食据え置きのドレッシングをかけて食べている。

「……」
「……? なに、しーちゃん?」
「別に」

 何も言わずに食事を続けた。
 前からはもしゃもしゃとキャベツを頬張る音が聞こえる。


 /


 受話器を取って番号をプッシュ。
 呼び出し音が何度が続いて留守番電話に切り替わった。

『もしもし木崎要です。現在留守にしております。御用の方はピーという発信音の後にメッセージを……あの、実は最近困っているんです。あなたが誰かは知りませんが、あなた、何かやりたいことってありますか? 或いはやるべきことでもいいんですが。いえいえ、そりゃあきっとたくさんあるんだとは思うんですよ、僕だって海外旅行に行きたい。でもね、僕が言いたいのはそういう願望みたいなのじゃなくて、本当にやりたいこと、本当にやるべきことってやつです。 具体性に欠ける話で申し訳ないんですけどね、例えば僕はいま短冊切りが上手くなるように毎日大根切ってますけど、これって本当に僕がやりたいことなのかなぁと考えることがしばしば。そりゃあ短冊切りは料理には必須技能なんでしょうが、人生全体と言う視座に立ったときそれが果たしてどれほど大きな意味を持っているのかと考えると、それは全く意味をもたな―――ピーッ』

 ガチャッ。
 受話器を置いた。


 /


 翌日、私は大学の中庭で要に会った。

「あ、おはよーしーちゃん」
「おはよう」

 挨拶をして要の座っているベンチに腰を下ろす。
 彼は読んでいた本をカバンに戻した。タイトルは『誰でも出来る、中級英会話講座』。

「ねぇ要?」
「なに、しーちゃん」
「そのさ、英会話ってやつは要の人生の中でどれくらい大きな意味を持っているの?」
「は? 大きな意味っていうかさ、これ必修科目じゃんか」
「なるほど……」

 私が相槌を打つと要はおかしそうに笑った。そういえば私もその授業を取っていた気がする、全然出てないけど。
 それはともかくとして、では要の人生の中で必修科目の単位を取るということはどれほど大きな意味を持っているのだろうか。私がそう聞こうとしたとき、彼が口を開く。

「つってもさー、この教科書さっき買ってきたんだよねー。もう6月なのに教科書いまさら買うの少し恥ずかしかった」
「……」
「あれ、どうかした? 変な顔して」
「ううん、別に」

 答えずに私は梅雨晴れの空を見上げた。
 隣からはパラパラとページを捲る音が聞こえる。


 /


 そして私は今日も受話器を取った。
 打ち込む電話番号は変わらず木崎要。
 発信音を聞きながら、少しだけ感傷に浸った。


 /


 私と要が知り合ったのは高校生のころだった。
 要はクラスでも少し浮いている変わった少年で、休み時間はいつも一人で携帯をいじっていたのを覚えている。彼に話しかけたきっかけはなんだったか覚えていない。ただ気がつけば要と私はよく行動を共にするような間柄、つまりは友達になっていて、それが不快じゃなかった。
 高校生とか、あの年頃にはよくある思考回路だろうけれど、私と要の関係が噂されるようになったのはすぐだった。
 もともと私も彼も友人が多い方じゃない。というか要には友達なんていなかったんじゃないかと思う。
 けれど要は華奢で女の子のような顔立ちをしていたから、上級生のお姉さん方には人気があったようだ。だから私は上級生に嫌がらせを受け、それに懲りて彼との関係を絶った。それが二年生のころだ。
 三年になったころにはもうクラスも別れ、私たちは廊下ですれ違っても目をあわすことさえ無くなっていた。
 上級生がいなくなったのだから、また話しかけてもいいのだろうかなんて思ったけど、そんな都合のいい考えを許容するほど私は恥知らずじゃない。そんな私たちが意図せずして同じ大学に進学し、しかもその大学への進学者が、うちの高校からは私と要の二人しか出なかったというのは皮肉なのかもしれない。
 そして私たちが再び話す機会を得たのは卒業式のこと。
 私の実家は高校から少し離れていて、校門のベンチに腰掛けて車で迎えに来ると言っていた母親を待っていた。母親は仕事の都合でどうしても卒業式には出られなかった。そのことに文句を言うつもりは無い、母子家庭なんてそんなものだと思う。
 私がベンチに腰掛けて夕焼けが山の稜線に消えるのを眺めていると、不意に背後で誰かのすすり泣きが聞こえた。
 ぎょっとして振り返る。
 そこには涙で顔をべしょべしょにした木崎要が立っていた。

「要?」
「うぅぅぅぅ、しーちゃ〜ん……」
「ああもう、なに泣いてるのよ。ほら、涙拭いて」
「だってぇ」

 男の癖にみっともなく泣きじゃくる要。彼は私の顔を見上げて言った。

「だって、これでしーちゃんともずっと会えないかと思うと……」
「は?」
「だって高校を卒業したら、もう廊下でしーちゃんとすれ違うこともなくなって、それで」
「言っとくけど要、私、あんたと同じ大学に入学する予定なんですが」
「……」
「……要?」
「おっと、もうこんな時間だ。それじゃ僕そろそろ帰るね」
「待てやコラァ!」

 それから要はどこでどうやって調べたのか、私の携帯の番号を入手してよく電話をしてくるようになった。
 話す内容はとてもくだらないことばかり。高校時代の思い出、大学生活への希望、やってみたいアルバイト、エトセトラエトセトラ。
 要の話す内容はいつも漠然としていて、私の話す内容は対照的に具体的というか現実的というか……。話してみて改めて思ったのは私と彼はやっぱり対極というか、正反対なんじゃないかということだった。
 それでも不思議とかみ合っている二人なんだと思う、大学の入学式は結局一緒に行って、けれど同じサークルには入らなかった。


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「……というわけで最近はレバニラ味噌肉炒定食フレンチスタイルがマイフェイバリッ―――ピーッ」

 気がつけば要お得意の意味不明な留守番メッセージは終わっていた。
 レバニラで味噌肉でフレンチスタイルとはどういうことだろう。まぁどうせ要のオリジナル創作料理なんだと思う、くぞまずいヤツ。いい加減ろくに食えもしない料理をいちいち考案するのやめたらいいのに、そうだ、よし、今日はどうせだから一言言ってやろう。

「要、私あんたのこと好きだから」

 ガチャッ。
 受話器を置いた。


 /


 翌日、大学の正門前で要に会った。
 何故かスーツを着ている。

「しーちゃん、僕もしーちゃんのこと好き」
「うん、でもレバニラなんとか定食ゲルマンスタイルはどうかと思うよ」
「やだな、レバニラ味噌肉炒めフレンチスタイルオレンジソース添えだってば」

 何か追加されている気がしたけれど私はそれを軽やかにスルーして要にキスをした。
 周りの視線が集まるけど、子供のころみたいに変にはやし立てられるなんてことはなかった。
 ねっとりと唇を絡め、目を白黒させている要に微笑む。
 初めての彼とのキスはとてもニラ臭かった。

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