誓いのキッスと黒いブラジャー


 その日は偶然部活が休みで、予定よりも早く帰宅することになってしまった。
 私はテニス部に所属している。
 テニス部を選んだのに深い理由は無い。中学のときの先輩もその部活に参加していて誘われたというのもあったし、聞けば練習もきつくなくて部員の仲もかなりいいのだとか。
 今にして思えばそんなのは新入部員確保のための甘言に過ぎなかったのだろう。いざ入部してしまえば練習はきついし肩は凝るし腕は太くなるし日に焼けて肌は黒くなるし遊ぶ時間はないし退部する機会も望めないし碌なもんじゃなかった。少し前に夏の大会の打ち上げがあって、その酒宴の席で酔った私は私を勧誘して下さったクソ先輩にくだを巻いて「よくもだましやがってくれましたね死んでください」などと暴言を吐いたそうな。
 そんなことは本当、どうでもいいんだけど。
 ともあれその日は突発的に部活が休みになったのだ。理由は簡単、こけて足をくじいたから。保健室の先生の見立てでは軽い捻挫、数日で治るだろうけど今日のところは部活を休んで安静にしていなさいということだった。
 超ラッキー。
 私は喜びのあまり跳ねるような勢いで部室棟に向かい、部室で着替えていた部長を捕獲して今日は休みをもらうことを報告した。

「いやいや、あんた超元気そうじゃん」
「とんでもないです。全治数日の捻挫で足首がもげそうなんです」
「んなわけないでしょ。練習には参加しなくていいからマネの真似事でもしてきなさい」
「部長、マネの真似事ってひょっとしてギャグですか」
「うん」
「や、やだなぁ。そこで認められちゃったらそのお寒いギャグをネタに強請れないじゃないですか」
「あんたもナチュラルに強請るとか言わない。それとお寒くて悪かったわね」

 その後舌戦を繰り広げること10分弱、私はなんとか部長を論破して休みをゲットした。代償は今日部長が録画予約をするのを忘れていたという、6時からスカパーでやる映画の録画らしい。テニス部員の家庭の中でスカパーに入っているのは私と部長の家だけだったそうで。……あれ、ひょっとして私いいように使われた?
 とにかく休みをゲットした私、捻挫も忘れてスキップ気味に帰宅。今日は久々に家でのんびりとアフター5(古語)を楽しむことが出来るぞと浮かれて帰ったのだが、その目論見はあっけなく粉砕された。
 他ならぬ我が義兄、四谷充の手によって。


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「はぁ、はぁ―――、美夏、美夏ぁ」

 玄関から入ってまっすぐ二階の自室に向かった私は自分の部屋のドアがわずかに開いていることに気づいた。おや、と思って近づいてみれば聞こえたのが今の声である。ちなみに美夏とは私の名前だ、フルネーム四谷美夏、よろしく。
 ていうか我が義兄よ、何をしていらっしゃるのか。
 荒い息をついて私の名を呼ぶ義兄、充が何をしているのか、正直私は理解したくなかった。外れたベルトに半ケツにまでずり落ちたズボンは私と同じ高校の制服、義兄は帰宅部ね。
 彼は前かがみの姿勢で私のたんすに頭を突っ込んでいた。彼が頭を突っ込んでいるたんすの段、下から3番目の段は乙女の秘密空間になっている。秘密空間とはつまり色とりどりでシルクだったりコットンだったり、流石に毛糸はないけどその手の素敵繊維製品がひしめく秘密空間のことだ。
 そこに頭を突っ込んで荒い息を吐き出しなおかつ秘密空間の主であるところの私の名前を連呼して半ケツの義兄。世話しなく動く右手は私も暫く教科書かエッチ本でしか拝見していない肉ジョイスティックが握られている。握られ、そしてしごかれている。

 お、お、お、お、オナニーだ。
 義兄がオナニーしている。
 私の部屋で、私のタンスに頭を突っ込んで、オナニーしてますっ。
 かかかか神様っ、義兄が私の下着をおかずに私を妄想で犯しつつ激しくオナニーしているんですがこの責任はどう取ってくれるんですかっていうか普通にいやーーーーーっ、超いやーーーーーーっっっ!!!

 がっくしと廊下で四肢をつく私。
 ちょっと嘘でしょ、マジ勘弁して。そりゃ充のことは嫌いじゃないし血も繋がってないけどそれはあくまで兄妹としてであって、ていうか妹おかずにして抜かないでよぅ、泣くぞくそぅ。
 そんな私に心境などお構いなしにより一層のスタンドプレイをヒートさせていく義兄の肉ジョイスティック捌き。赤黒いグロテスクがじゅりじゅりと擦り上げられ、気のせいか先端からはいわゆる我慢汁とかいう液体がフライアウェイしているように見える。我慢汁は我慢しよう、いやほんと頼むから、って、ああ!?
 ああっ、嘘っ、やめてっ、タンスにっ、タンスに掛かってるーーーっ!

「美夏っ美夏ぁっ、好きだ、好きだ好きだ好きだぁっ」

 嬉しくねぇーーーー!!
 素で嬉しくないよーーーー!!

「はぁっ、ああっ、凄い、凄いよ美夏、そんな―――」

 あああああ、妄想の中でいったい私は何をさせられているんだ。というか文脈から察するに私がやつ(もう義兄とは呼ばない)を攻めているのか?
 落ち着いてやつの妄想の中の私っ、何もそこまでアグレッシブになることないでしょっ、びーくーーーるっ!

「イクッ、イきそうだっ、美夏っ、美夏美夏美夏美夏美夏っ、お、お兄ちゃん、イっちゃうぞっ!!」

 イクなぁぁぁぁぁぁぁぁっ、帰ってこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉいっ! ていうか自分で自分のことお兄ちゃんとか言うなっ、普通にキモいしっ、そして私の名をかつてないほど連呼しないでぇっ!
 今正にエクスタシーというかオルガスムというか絶頂というか、そんな瞬間を迎えようとしたその時、やつはこの土壇場でさらに私の予想を裏切る行動に出た。
 左手がタンスの中に突っ込まれ、私のショーツを鷲づかみにしたのだ。その間にも熱々のフランクフルト(皮付き)をしごき続ける右腕、私の脳裏に嫌な予感が閃光の様に駆け抜ける。
 ま、ま、まさかまさかまさかっ!

「みぃっ、美ぃ夏ぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ!!!」

 瞬間、やつはずっとタンスの下着の引き出しに突っ込んでいた顔を勢いよく引き抜いて仰け反った。その勢いで部屋中に舞い散る赤白黄色、スカイブルーにミントグリーン、ちょっとアダルティに黒や紫といった色とりどりの下着たち。
 あろうことか、仰け反ったやつは恍惚のその瞬間に、あろうことか、その貧相なミルクバーを、あろうことか、その左手に掴んだ私のショーツたちでくるみやがったのだ!

「おは、あ、あぁぁぁぁ、ぁ、ぁぁぁ」

 友人の持ってたレディコミ風に言うとびゅくびゅくとかいう擬音が聞こえそうな勢いで、やつは身を震わせる。下着の散らかった私の部屋で一人、仰け反った半ケツ男の顔の上にひらひらと黒いショーツが舞い落ちた。

 し、し……死にたい。
 そして殺したい。
 ああああ、うううううう、うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。
 やだ、もうやだ、下着全部買いなおすぅぅ。
 んでもって部屋に鍵もつけるぅぅぅ、絶対、ぜったいにぃぃぃぃ。

 私の目からはやつのあまりの情けなさと、おかずにされてしまっていた気持ち悪さでぽたぽたぽたぽたと涙が零れ落ちた。
 ――やつ、四谷充と私が義兄妹の関係になったのは今から4年前のことだ。
 理由はシンプルに親同士の再婚。私は父の連れ子で、やつは義母の連れ子だった。
 お互いに第一印象は悪くなかったと思う。少なくとも私はやつに悪い印象は抱かなかった。やつは私の一つ年上で、お茶らけた感じのする男の子だった。ふざけたところもあったし、食いしん坊とか、欲求に素直なところもあったけれど、私にはとても良くしてくれてそれが嬉しかったのをはっきり憶えている。
 出会ってから数ヶ月、最初から家族ではなくまずは親同士が知り合いの普通の友達として仲良くなろうとした私たち。そんな私たちが義兄妹という関係を素直に受け入れられたのは、あの満開の桜の木の―――、

「さて、それじゃ第2ラウンドにいくかっ」
「イクなぼけーーーー!」

 耳に入ってしまった発言を聞き逃せずついに突入してしまう私。

「うおおっ!? 美夏っ、いつからそこにっ!?」
「人がシリアスに回想シーンに突入しようとしてるのに何よそれはーー! 早くその粗品をしまえーーー!」
「そ、粗品は酷いんじゃないか!? 美夏だってお兄ちゃんのコレ好きだろう!?」
「好きなわけあるかっ! 妄想と現実をごっちゃにしてるんじゃないわよっ! 出てけっ、そして死ねっ!」
「ひぃっ、死ねって言ったぁ!」

 胸の前で腕を組んで私の怒りに戦くやつ。その所作で中途半端に柔らかくなったチーかまがぷるんと揺れた。
 揺れた先から練乳がぴょろっと飛んで私の足に掛かる。えへ、とやつは笑った。

「し、し、し、死ねぇぇぇぇぇ! 死んでしまえぇぇぇぇぇ!!!」
「ぎゃあーーーーーっ!?」


 /


 それから―――。
 それから私は下着を全部買い替え、部屋に鍵をつけることも許された。やつは頭が冷えるまで、という暫定処置で実家を追い出され、学校近くのマンションで一人暮らしを申し付けられる。
 たったそれだけのことで私の生活には平穏が戻ってきた。というか、あの運命的に呪わしいあの日以前のやつは普通にいい義兄をしてくれていたのだし、そのことを思えば、その後の家庭生活が微妙にさびしかったことを、今の私ならば認めることができる。
 でもそれはもう全部10年も前の話だ。
 私は今年26の誕生日を向かえ、そして今日、3年間付き合った会社の同僚の彰浩と結婚する。結婚式には高校や短大での友人なども迎えて、それなりに盛大なものになる予定だ。
 式には一応やつも呼んである。
 家族なのだから当然と言えば当然なのかもしれない。けれどやつは実家を追い出されてから結局高校を卒業するまで家に戻らなかったし、高校を卒業したら卒業したで遠方の大学に進学してしまい、結論、あの後ずっと私とやつが同じ家で生活することはなかったのである。そして今では年に一度も会えないような生活が続き、正直に白状すれば今日の結婚式で再会が叶えば、それが3年ぶりに再会だったりもして……。
 そんな思考にふけっていると、不意に声を掛けられた。

「美夏」

 それは父の声だ。

「彰浩くんが式場で待っている、行こう」
「うんっ」


 /


 いつからか憧れとなっていたチャペルでの結婚式。私はいま父に手を引かれてヴァージンロードをしずしずと歩いている。純白のウェディングドレスはひらひらとして落ち着かない。向かう先の壇上にはやっぱり白のタキシードに身を包んだ彰浩が私を待っていた。
 壇上まで来ると父は、涙を浮かべながら私を彰浩に引渡した。気が早いなぁと苦笑して、私も目が潤んでいたことに気づく。そして壇上に残されたのは私と彰浩と、それから結婚式を務めてくださる牧師さんだけだった。
 式場中の視線が集まって背中がむずがゆい。
 でも、そんなむずがゆさも隣に立つ彰浩の笑顔で忘れてしまった。牧師さんがこほんと一つ咳払いをして、誓いの言葉が始まる。

「汝、高島彰浩は、四谷美夏を妻とし病めるときも、健やかなるときも―――」

 お決まりの文句は、でもやっぱりそれなりに感動的だったと思う。
 彰浩は牧師さんの問いに明瞭な声で誓いの言葉を返し、同じ質問が私にも振られると、私もやっぱりはっきりとした声でそれに答えた。

「では、誓いのキスを」

 促されて彰浩が私の頭に掛けられたヴェールを捲くる。
 少しだけ開ける視界。
 大きく取られた明かり窓から春の陽光が射し込み、帯状になった光がゴシック調に設えられたチャペル内を彩っていた。
 そして気がつけば目の前に迫る愛しい人の唇。私も目を閉じてそれを受け入れようとして、目を閉じようとしたその瞬間、それが視界に入った。
 おごそかなチャペルの中、最後尾の席で手にした黒い布を思いっきり振るう“やつ”。
 泣きそうな笑顔で祝福してくれるやつの手にある布切れがなんであるか、私にはすぐに分かった。あの運命的最悪の日、後片付けをしていて一枚だけ行方知れずになった、当時の私のストックの中では最強アダルティを誇った豪華レース付黒のブラ。
 ああ、やっぱりあの馬鹿が持ってたのね。
 変に納得してしまった私はそっと目を閉じる。式が終わったらあの馬鹿で馬鹿でどうしようもない“義兄”をぶん殴ってあのブラを取り返そうと誓い、私は最愛の人からの誓いの口付けを受けた。

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